札幌地方裁判所 平成元年(わ)559号 判決 1993年3月16日
主文
被告人Aを懲役三年に、被告人B、被告人C及び被告人Dをそれぞれ懲役一年六か月に処する。
この裁判確定の日から、被告人Aに対しては五年間、被告人B、被告人C及び被告人Dに対してはいずれも三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。
被告人Aから、三九四八万円を追徴する。
訴訟費用については、別紙訴訟費用負担一覧表記載のとおり、それぞれの被告人に負担させる。
理由
(犯罪事実)
第一 被告人A関係
被告人Aは、昭和五九年九月一一日から昭和六三年一月一〇日までの間、北海道事務吏員として勤務し、その間の昭和五九年九月一一日から昭和六〇年四月一〇日までは北海道開発調整部(以下「開発調整部」という。)参事(計画)の主幹として、北海道の新長期計画にかかる戦略プロジェクト(以下「戦略プロ」という。)の企画、立案、調査委託発注等に関する事務を処理する職務に従事し、昭和六〇年四月一一日から昭和六三年一月一〇日までは開発調整部参事(計画)の参事として、これらの事務を統括する職務に従事していた。
一 昭和六〇年度の戦略プロ関係調査をめぐる収賄
開発調整部では、昭和六〇年一月ころまでに、昭和六〇年度において、戦略プロに関する可能性調査(以下「戦プロ可能性調査」という。)を民間のシンクタンク等に委託発注する方針を固め、その予算化措置を要求していたところ、同年二月六日の知事査定によって総額一億三〇〇〇万円の予算が計上されることとなり、被告人Aや同僚の中橋勇一らが中心となって、発注会社の選定、発注方式の決定等に関する事務の処理に当たっていた。
1 ところが、被告人Aは、この昭和六〇年度戦プロ可能性調査に関し、昭和六〇年三月上旬ころ、東京都文京区<番地略>所在の株式会社開発計画研究所(以下「開研」という。)の事務所において、同社の代表取締役(肩書は当時のもの。以下、他の被告人についても同じ。)であった被告人Bに対し、戦プロ可能性調査の委託業務を同社が受注できるように取り計らう見返りとして、「調整費」あるいは「活動費」の名目で、同社の受注額の一五ないし二〇パーセントに当たる金額を割り戻すという方法で供与することを要求した。被告人Aは、その場で、被告人Bから右金員の支払要求に応じる旨の承諾を得るとともに、被告人Bとの間で、開研の受注に関して便宜を図ることで暗黙の意思を通じ、その旨の黙示の請託を受けた。そして、被告人Aは、戦プロ中の昭和六〇年度「二一世紀技術開発プロジェクト調査」等の指名競争入札における指名業者の選定や落札予定価格の事前漏洩等について便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨で供与されるものであることを知りながら、被告人Bから、東京都渋谷区<番地略>所在の株式会社富士銀行渋谷支店にあった株式会社メープル政策企画研究所(以下「メープル企画」という。)名義の口座番号一八六〇六七八の普通預金口座宛に、昭和六〇年七月一二日に一八〇万円の、また、口座番号一八六八四二三の普通預金口座宛に、同年一〇月七日に三〇〇万円、同年一二月三一日に一七八万円の合計六五八万円の振込送金を受け、前記職務に関して賄賂を収受した。
2 また、被告人Aは、前記昭和六〇年度戦プロ可能性調査に関し、昭和六〇年三月上旬ころ、札幌市中央区<番地略>所在の札幌グランドホテル内にある喫茶店「ポプラ」において、北海道開発コンサルタント株式会社(以下「道コン」という。)技術開発部の主任技師であった被告人Dに対し、戦プロ可能性調査の委託業務を同社が受注できるように取り計らう見返りとして、「活動費」の名目で、同社の受注額の一五パーセントに当たる金額を割り戻すという方法で供与することを要求した。被告人Dは、その日のうちにこの話を上司である同社技術開発部長の被告人Cに伝え、被告人Cも、これを承諾した。そこで、被告人Dは、その翌日ころ、被告人Aに電話をかけて右金員の支払要求に応じることを伝えるとともに、道コンの受注につき「宜しくお願いします。」と述べて、便宜な取り計らいをしてもらいたい旨依頼した。このようにして、被告人Aは、被告人Cの意向を受けた被告人Dから、右金員の支払要求に応じる旨の承諾を得るとともに、道コンの受注に関する便宜を図ることについての請託を受けた。そして、被告人Aは、戦プロ中の昭和六〇年度「二一世紀交通運輸システムプロジェクト調査」の指名競争入札における指名業者の選定、落札予定価格の事前漏洩等について便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨で供与されるものであることを知りながら、被告人C及び被告人Dから、前記富士銀行渋谷支店のメープル企画名義の口座番号一八六〇六七八の普通預金口座宛に、昭和六〇年八月三〇日に四〇〇万円の、口座番号一八六八四二三の普通預金口座宛に、同年一〇月三一日に三七〇万円の合計七七〇万円の振込送金を受け、前記職務に関して賄賂を収受した。
二 昭和六一年度の戦プロ関係調査をめぐる収賄
開発調整部では、昭和六〇年一二月ころまでに、昭和六一年度においても、昭和六〇年度に引き続いて、戦プロ事業を推進するための調査(以下「戦プロ推進調査」という。)を民間のシンクタンク等に委託発注する方針を固め、そのための予算措置を要求していたところ、昭和六一年二月六日の知事査定において、総額三億円の予算が計上されることになり、被告人Aが中心となって、発注会社の選定、発注方式の決定等に関する事務の処理に当たっていた。
1 ところが、被告人Aは、この昭和六一年度戦プロ推進調査に関し、昭和六一年五月上旬ころ、前記開研事務所において、被告人Bに対し、戦プロ推進調査の委託業務を同社が受注できるように取り計らう見返りとして、昭和六〇年度と同様に、「調整費」あるいは「活動費」の名目で、同社の受注額の中から一五〇〇万円を割り戻すという方法で供与することを要求した。被告人Aは、その場で、被告人Bから右金員の支払要求に応じる旨の承諾を得るとともに、被告人Bとの間で、開研の受注に関して便宜を図ることで暗黙の意思を通じ、その旨の黙示の請託を受けた。そして、被告人Aは、戦プロ中の昭和六一年度「北の技術開発ネットワーク基本計画調査」等の随意契約における契約業者の選定等について便宜な取り計らいを受けること、または受けたことに対する謝礼の趣旨で供与されるものであることを知りながら、被告人Bから、前記富士銀行渋谷支店のメープル企画名義の口座番号一八六八四二三の普通預金口座宛に、昭和六一年五月一四日に六〇〇万円、同年九月二七日に四〇〇万円の、また、メープル企画が商号変更した株式会社ピーアンドデー研究所(以下「ピーアンドデー」という。)名義の同銀行同支店の右普通預金口座に、同年一一月一日一〇〇万円、同年一二月一六日に二〇〇万円、昭和六二年一月一九日に二〇〇万円の合計一五〇〇万円の振込送金を受け、前記職務に関して賄賂を収受した。
2 また、被告人Aは、前記昭和六一年度戦プロ推進調査に関し、昭和六一年四月下旬ないし、五月上旬ころ、札幌市中央区<番地略>所在の北海道庁内の開発調整部会議室において、被告人Dに対し、戦プロ推進調査の委託業務を道コンが受注できるように取り計らう見返りとして、昭和六〇年度と同様、「活動費」の名目で、同社が実際に外注に出す調査の費用分を除く同社の受注額の一五パーセントに当たる金額を割り戻す方法で供与することを要求した。被告人Aは、その場で、被告人Dからその承諾を得て、道コンの受注に関して便宜を図ることで暗黙の意思を通じ、その旨の黙示の請託を受け、他方、被告人Dは、その直後にこの事情を被告人Cに報告し、その了承を得て、被告人Cとの間で、この請託の趣旨にのって被告人Aに賄賂を贈ることを共謀した。そして、被告人Aは、戦プロ中の昭和六一年度「新世紀型高速交通システム推進調査」等の随意契約における契約業者の選定等について便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨で供与されるものであることを知りながら、被告人C及び被告人Dから、前記富士銀行渋谷支店のメープル企画名義の口座番号一八六八四二三の普通預金口座宛に、昭和六一年六月三〇日に五〇〇万円の、また、前記ピーアンドデー名義の同銀行札幌支店の口座番号一六四九八七三の普通預金口座宛に、同年一一月二八日に五二〇万円の合計一〇二〇万円の振込送金を受け、前記職務に関して賄賂を収受した。
第二 被告人B関係
被告人Bは、昭和六一年当時、地域開発、産業開発等に関する調査、立案等を目的とする開研の代表取締役として、同社の業務を統括していた。ところが、被告人Bは、同年五月上旬ころ、前記開研事務所において、開発調整部参事(計画)の参事として前記戦プロに関する事務を統括する職務に従事していた被告人Aから、開発調整部が昭和六一年度に民間シンクタンク等への委託発注を予定していた戦プロ推進調査業務を開研が受注できるよう取り計らう見返りとして、「調整費」あるいは「活動費」の名目で、同社の受注額の中から一五〇〇万円を割り戻すという方法で供与することを要求された。被告人Bは、その場で、この要求に応じる旨承諾し、被告人Aとの間で、開研の受注に関して便宜を図ってもらうことで暗黙の意思を通じ、その旨の黙示の請託をした。そして、被告人Bは、被告人Aから戦プロ中の昭和六一年度「北の技術開発ネットワーク基本計画調査」等の随意契約における契約業者の選定等について便宜な取り計らいを受けること、または受けたことに対する謝礼の趣旨で、前記富士銀行渋谷支店のメープル企画名義の口座番号一八六八四二三の普通預金口座宛に、昭和六一年五月一四日に六〇〇万円、同年九月二七日に四〇〇万円の、また、前記ピーアンドデー名義の同銀行支店の右普通預金口座宛に、同年一一月一日に一〇〇万円、同年一二月一六日に二〇〇万円、昭和六二年一月一九日に二〇〇万円の合計一五〇〇万円の振込送金をし、被告人Aの前記職務に関して賄賂を供与した。
第三 被告人C、被告人D関係
被告人Cは、昭和六一年当時、土木、建築、地域計画等に関する調査、立案等を目的とする道コンの技術開発部長として、同部における業務を統括しており、被告人Dは、そのころ、同部特別主任技師として、同部における業務の遂行に当たっていた。ところが、被告人Dは、同年四月下旬ないし五月上旬ころ、前記開発調整部会議室において、開発調整部参事(計画)の参事として前記戦プロに関する事務を統括する職務に従事していた被告人Aから、開発調整部が昭和六一年度に民間シンクタンク等への委託発注を予定していた戦プロ推進調査業務を道コンが受注できるよう取り計らう見返りとして、「活動費」の名目で、同社が実際に外注に出す調査の費用分を除く同社の受注額の一五パーセントに当たる金額を割り戻すという方法で供与することを要求された。被告人Dは、その場で、この要求に応じる旨承諾し、被告人Aとの間で道コンの受注に関して便宜を図ることで暗黙の意思を通じて、その旨の黙示の請託をするとともに、その直後にこの事情について被告人Cに報告し、その了承を得て、被告人Cとの間で、この請託の趣旨にのって被告人Aに賄賂を贈ることを共謀した。そして、被告人C及び被告人Dは、この共謀に基づき、被告人Aから戦プロ中の昭和六一年度に「新世紀型高速交通システム推進調査」等の随意契約における契約業者の選定等について便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨で、前記富士銀行渋谷支店のメープル企画名義の口座番号一八六八四二三の普通預金口座宛に、昭和六一年六月三〇日に五〇〇万円の、また、前記ピーアンドデー名義の同銀行札幌支店の口座番号一六四九八七三の普通預金口座宛に、同年一一月二八日に五二〇万円の合計一〇二〇万円の振込送金をし、被告人Aの前記職務に関して賄賂を供与した。
(証拠)<省略>
(補足説明)
被告人四名の弁護人は、それぞれの理由を述べて、各被告人の無罪を主張する。当裁判所は、これらの主張につき検討したうえで犯罪事実を認定したが、以下、関係証拠によって認められる事実に照らしながら、主要な争点である被告人Aの職務権限の存否、金員供与の要求と請託の有無、供与された金員の賄賂性の有無、各被告人の贈収賄の動機と賄賂性の認識、メープル企画及びピーアンドデーの役割、各被告人の捜査段階における供述の信用性について、順次当裁判所の判断を補足的に説明する。
第一 被告人Aの職務権限
一 職務権限の存在と内容
1 関係証拠によれば、戦プロ可能性調査及び戦プロ推進調査の民間委託発注等をめぐる被告人Aの職務権限に関し、以下の事実が認められる。
(一) 北海道は、昭和五三年度から一〇年間の長期計画として「北海道発展計画」を実施していたが、昭和五七年度からその点検、見直し作業に着手し、これに代わる新たな長期計画(新計画)を策定するための準備に取りかかり、昭和五九年四月には、開発調整部参事(計画)の参事を従来の二人から四人に増員するなどして組織体制を整備し、昭和六二年度からの計画実施を目指して、新計画策定作業を開始した。そして、道民の意向についてのアンケート調査を実施し、その結果に基づいて、昭和六〇年二月二〇日には「新計画基本構想骨子案」を、同年六月には「新計画基本構想案」を公表し、さらに、昭和六一年一月には、市町村意向調査に基づく「新計画素案」を策定して、知事の諮問機関である北海道総合開発委員会に諮り、その答申を得て、同年三月には「北海道新長期計画案」を策定して、道議会に提示した。
(二) このような一連の動きの中、被告人Aは、昭和五九年九月一一日、出向先の外務省から北海道庁に復帰して北海道事務吏員に再任命され、同日付けで開発調整部参事(計画)の主幹に、その後昭和六〇年四月一一日付けで同部参事(計画)の参事に就任した。当時、開発調整部主幹の一般的職務権限は、北海道行政組織規則第二八八条二項、別表第九により、上司の命を受け、同部の主管に属する特定の事務についての調査、企画、立案等の事務を処理することとされていた。また、同部参事の一般的職務権限は、同規則二八八条一項、別表第八、同第八その二により、上司の命を受け、総合開発計画に関すること等の事務の全部又は一部に従事するとともに、関係事務を整理することとされていた。そして、被告人Aの具体的な職務内容は、これらの一般的職務権限に基づき、我孫子健一開発調整部長ら上司の命を受け、主幹としては、新長期計画にかかる各種のプロジェクト(後に「戦プロ」と呼ばれるもの。)の企画、立案、発注等に関する事務を処理することであり、参事としては、戦プロに関する右のような事務を統括することであって、実際にも、次にみるように戦プロ業務推進の中心的人物として、これらの事務の遂行に従事していた。
(三) 開発調整部参事(計画)では、被告人Aを中心として、昭和五九年一一月ころまでに、昭和六〇年度において戦プロに関する可能性調査(フィージビリティ・スタディ)を外部委託する方針を取りまとめ、道総務部財政課に対し、戦プロ関係予算として、二六九七万円(内委託料二〇〇〇万円)を要求したが、自由民主党北海道支部も、戦プロに強い関心を抱いて、その可能性調査の外部委託費として二億円の予算要望を行ったこともあり、昭和六〇年二月六日の知事査定では、戦プロ可能性調査外部委託費として一億三〇〇〇万円が計上された。そこで、開発調整部参事(計画)では、被告人Aや中橋らを中心に、この可能性調査委託費の執行を前提としたプロジェクトの選定を行い、昭和六〇年二月上旬ころからは、昭和六〇年度に外部委託すべき調査項目及び割当予算額の目安を作成するとともに、各調査項目について委託候補業者の事実上の選定作業を行い、昭和六〇年五月三一日に行われた指名競争入札では、あらかじめ被告人Aが選定しておいた本命業者が落札するように取り計らうなどした。
(四) また、開発調整部は、昭和六一年度においても戦プロ関係の予算措置を要求し、昭和六一年二月六日の知事査定で戦プロ推進費として三億円(内調査委託費一億八六〇〇万円)が計上された。そこで、同部では、被告人Aが中心となって、昭和六一年度に外部委託すべき調査項目及び割当予算額の目安を作成するとともに、財政課と折衝し、同年度の調査委託業務を、前年度の受注業者に随意契約で発注するように取り計らうなどした。
2 以上の事実によれば、被告人Aは、昭和六〇年度戦プロ可能性調査及び昭和六一年度戦プロ推進調査に関し、外部委託すべき調査項目の決定、各調査項目に対する予算割当、委託発注方式の決定、受注業者の選定等につき、一般的、具体的な職務権限を有していたことは明らかである。
3 これに対し、被告人Aは、公判廷で、主幹時代の職務権限に関し、昭和六〇年度の予算要求の時点では誰が戦プロを担当するかは決まっていなかったし、自らの参事(計画)主幹のポストの暫定的なものであったから、昭和六〇年二月ないし三月においては、自分には戦プロ関係調査の受注業者の選定等について実質的・確定的な職務権限はなかったという趣旨の供述をしている。
しかし、賄賂罪における公務員の職務権限が実質的・確定的なものである必要のないことは明らかであるから、被告人Aの主張は、それ自体失当というべきである。しかも、被告人Aの関係調整部時代の上司、同僚、部下である我孫子健一、神山健一、奈良崎紀生、能島寛之、片井猛らは、一致して、被告人Aが戦プロ関係の事務の処理につき指導的・中心的な役割を果たしていた旨の信用できる証言をしており、これらの証言に照らすと、被告人Aには、昭和六〇年二月ないし三月の時点において、戦プロ可能性調査の外部委託に関する実質的・確定的な職務権限があったと認定することができる。
二 職務権限に対する認識
被告人Aの職務権限に関する被告人B、被告人C、被告人Dの認識については、被告人A以外の被告人の捜査段階及び公判廷での供述、被告人Aとの交際状況、開研、道コンの昭和六〇年の受注実績等によって、昭和六〇年度、昭和六一年の双方において認めることができるが、昭和六〇年度における被告人Bの右認識については、同被告人の弁護人が争っているので、さらに説明する。
被告人Bは、昭和六〇年二月七日、八日に被告人Aから戦プロ関係の調査テーマ等について相談された際には、開発調整部内における被告人Aの地位を知らず、戦プロ関係の調査事務の一担当者という程度の認識しかなく、調査委託業務の外部発注等に関する権限を一手に握っているという認識は抱いていなかったし、同年三月七日に被告人Aから「調整費」ないし「活動費」の話が持ち出されたときにも、その認識は変わっていなかったとして、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の外部委託に関する被告人Aの職務権限についての認識を欠いていたという趣旨の主張をし、被告人B自身も、捜査段階においては、被告人Aの職務権限についての認識があったことを認めていたものの、公判廷においては、これを否定し、弁護人の主張に沿う供述をしている。
しかしながら、賄賂罪における公務員の職務権限が独占的・集中的なものである必要のないことはいうまでもない。また、実際にも、被告人Bは、被告人Aから、昭和六〇年二月七日、八日に戦プロ可能性調査の調査テーマの選定等について相談され、同年三月上旬には、開研に戦プロ可能性調査を発注する前提として「調整費」ないし「活動費」の支払を要求されていた旨公判で述べているから、この公判供述のみによっても、被告人Bが、昭和六〇年三月の時点において、被告人Aが開発調整部内において戦プロ関係の事務に従事し、少なくとも外部委託すべき調査項目の立案、委託発注方式の決定や発注業者の選定等につき影響力を及ぼし得る地位にあったことを認識していたものと推認することができる。そうすると、被告人Aには戦プロ可能性調査の受注業者を決定する権限があることは理解していたという趣旨の被告人Bの捜査段階の供述は、十分信用できるというべきである。
したがって、弁護人の主張は採用できない。
第二 金員供与の要求と請託
一 昭和六〇年度戦プロ可能性調査関係
1 開研関係
(一) 関係証拠によれば、昭和六〇年戦プロ可能性調査をめぐる金員供与の要求と請託の有無に関し、以下の事実を認めることができる。
すなわち、被告人Aは、昭和六〇年一月下旬ころ、かねてから知り合いであった被告人Bに電話をかけて来道を促し、同年二月八日朝、京王プラザホテル札幌の二〇〇一号室において、被告人Bに戦プロ関係の調査項目リストを示したうえ、その中から「北の技術開発ネットワーク」、「航空宇宙産業基地」、「海洋開発拠点」及び「臨森林型産業都市」の可能性調査について検討を依頼した。そのうえで、被告人Aは、昭和六〇年三月上旬ころ、当時の開研事務所を訪ね、被告人Bに対して、「調整費、活動費が必要なので、受注額の一五から二〇パーセント程度を出してもらいたい。」旨述べて、開発調整部が昭和六〇年度戦プロ可能性調査を開研に発注することを前提として、その受注額の一定割合に当たる金額を「調整費」ないし「活動費」の名目で割り戻すことを要求した。これに対して、被告人Bは、やはり開研が昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託業務を受注することを前提として、この要求を承諾した。そして、被告人Aは、そのころから、開研が昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託業務を受注できるよう種々の取り計らいを行った。
(二) この点に関して、被告人Aは、昭和六〇年三月上旬における被告人Bとのやり取りは、道の予算に計上されなかった戦プロ関係の事務費の調達方法につき、一般論として被告人Bに相談したもので、被告人Bからの答えも、受注会社に負担させる方法もあるという助言程度のものにすぎず、受注額の一五ないし二〇パーセントという具体的な金額を示して金員供与を要求したものではなかったという趣旨の供述をしている。また、被告人Bも、被告人Aの発言を、道の戦プロ担当者からの一般論的な質問ないし打診と理解したという趣旨の供述をしている。
しかしながら、被告人Bは、公判廷においても、昭和六〇年三月上旬の時点で、被告人Aから「調整費」ないし「活動費」という名目の金員を受注業者に負担してもらいたい旨の要請があったことは明確に認めている。また、後述のとおり、被告人Aは、その時点ですでに、被告人Dに対しても、受注額の一五パーセントに当たる金額の「活動費」を要求していたのであって、この点に照らすと、被告人Bとの関係でも、受注額の一定割合という具体的な金額の話が出ていたものとみるのに何ら不自然な点はない。そうすると、昭和六〇年三月七日に、被告人Aから、「調整費」ないし「活動費」の名目で、開研の受注額の一五ないし二〇パーセントに当たる金額を割り戻すという方法で金員を供与してもらいたいとの具体的な要求があったことを認めている被告人Bの捜査段階の供述は、十分に信用することができる。
(三) また、被告人Bの弁護人は、開研は、戦プロ関係の調査項目について十分な調査実績と調査能力を備えており、すでに昭和六〇年二月八日の段階で道側の担当者である被告人Aからの協力要請に応じていたのであるから、被告人Bとしても、具体的な発注段階になれば当然に随意契約の方式で開研に発注されることになるとの認識を有していたのであって、昭和六〇年三月上旬の時点において、開研が戦プロ可能性調査の委託業務を受注できるように有利な取り計らいをしてもらうよう請託する必要性は全くなかったと主張する。
しかしながら、そもそも、受注額の一定割合を発注者に割り戻すという方法で金員を供与することを承諾した者が、その前提となる受注を望まないということはあり得ないことであるばかりか、戦プロ関係のそれぞれの調査項目についての調査実績や調査能力を有するシンクタンクは現実に開研以外にも存在しているし、仮に予備的な段階で調査協力の要請があったとしても、それだけでは当然に実際の発注に至るとは限らないことも明らかである。
(四) そうすると、指名競争入札の形式をとるにせよ、随意契約の形式をとるにせよ、戦プロ可能性調査を開研に発注すること自体が開研にとって有利な取扱になるのであるから、本件のように、受注額の中からその一定割合の金額を割り戻すという方法で還元するという合意があり、開研の受注と金員の供与がまさに表裏一体の関係にある場合には、昭和六〇年三月上旬の会合において、被告人Bが金員の供与を承諾し、被告人Aとの間で、昭和六〇年度戦プロ可能性調査を開研に受注させることにつき意思を通じたことをもって、被告人Bの請託があったと認定することができる。
2 道コン関係
(一) 「一条亭」での会食
関係証拠によれば、被告人四名が、昭和六〇年二月八日に、札幌グランドホテル内の和風レストラン「一条亭」で、初めて一堂に会して行った夕食会に関し、以下の事実を認めることができる。
すなわち、被告人Dは、かねてからの知り合いであった被告人Bから来道の予定があり、被告人Aとも接触することになっている旨の知らせを受け、道庁に復帰する直前まで在カナダ大使館に勤務していた被告人Aの帰国祝いという名目をつけて、昭和六〇年二月八日、「一条亭」において夕食会を催した。この夕食会には、右三名のほか、開発調整部から稲垣利彰、道コンから窪田捷洋が当初から出席し、被告人Cが、遅れて参加した。
この会合について、検察官は、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の受注をにらんだ道コンの営業活動であったと主張し、被告人四名の弁護人は、いずれもこの会食の席では戦プロ関係調査の外部委託については具体的な話が出なかったと主張している。
そこで検討するに、稲垣は、公判廷において、「一条亭」での会食の席では、被告人Aの方から、エアカーゴ、航空宇宙、リニアなど戦プロについての具体的な話が出ており、これに対して、被告人Dは「勉強していきたい。」と述べ、遅れてきた被告人Cも「特別な体制を作ってでも協力したい。」と言って、いずれも関心を示していたが、どちらかといえば、被告人Cが積極的であったのに対し、被告人Dの方はしんどいという感じであったと証言している。この証言は、その場の会話内容、雰囲気につき極めて具体的かつ明確なものであるうえ、被告人Aが前記のとおり右会食の直前に被告人Bに対して戦プロ関係の調査項目につき具体的な相談をしていることからしても、被告人Aがこの会食の席で戦プロについて具体的な話をしたとしても不自然ではないこと、開研と道コンとは従前から取引関係があり、営業上対立関係にあったというわけではなく、また、この会食の席も被告人Bの来道が契機となって設けられたものであるから、道コン側の出席者が、被告人Bも同席する場で、稲垣の供述する程度の発言をすることは了解できること、稲垣が、特に公判廷で偽証をしてまで、被告人らを罪に陥れる必要を窺わせる事情が全く存在しないことなどに照らすと、その信用性は高いと認められる。また、被告人C及び被告人Dも、捜査段階においては、「一条亭」での夕食会の席で戦プロ関係の話が出たことは認めており、その供述内容にも、不自然、不合理な点は存在しない。
そうすると、「一条亭」での会食の席では、戦プロ関係調査のことが話題に上り、道コン側もその委託業務につき受注の希望があることを被告人Aに伝えていたものと認定することができる。もっとも、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の外部委託費として一億三〇〇〇万円の予算が計上されることについては、昭和六〇年二月五日に初めて新聞報道されたものであるところ、「一条亭」での会食はそれ以前から予定されていたことや、道コン側の出席者がいずれも海外での調査等を通じて被告人A又は中橋と知り合いであったこと等に照らすと、この会合が、当初から、もっぱら戦プロ関係調査の受注を意図した道コンの営業活動であったとまでは認めることができない。
被告人四名の弁護人は、同業者である開研と道コンが同席していたこと、被告人Cが遅れてきたこと、会食の席順が普通でないこと、当時の戦プロの進捗状況からして会話内容が不自然であること等を理由として、稲垣の証言は信用できないと主張するが、それらはいずれも独自の見解であって、稲垣の前記証言の信用性に疑問を生じさせるものではない。
(二) 「ポプラ」における金員供与の要求
被告人Aが、昭和六〇年三月上旬、札幌グランドホテル内の喫茶店「ポプラ」に被告人Dを呼び出し、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の受注に関して金員の供与を要求した状況については前記犯罪事実に認定したとおりである。
これに対して、被告人Aは、公判廷において、その面談の趣旨は、被告人Dに対し、リニア、エアカーゴ、コミュータという交通関係の戦プロ可能性調査につき「企画書」ないし「仕様書」を作成するよう個人的に要請するとともに、一般論として、道の予算がつかなかった戦プロ関係の事務費を受注業者の側で負担することができるかという点を尋ねたもので、一五パーセントとか二〇パーセントとかいう負担金額も、戦プロ可能性調査との具体的な関連において道コン側に負担要請をしたものではなかったという趣旨の供述をしている。
しかしながら、被告人Dをはじめ、その場に同席した中橋及び窪田も、公判廷において、被告人Aが、道コンに交通関係の三本の可能性調査を委託する、一本一五〇〇万円位のもので三本になるという趣旨のことを言い、被告人Dが、これに対してエアカーゴにつき質問をするなど、交通関係の戦プロ可能性調査が道コンに発注されることを前提とした内容の会話があり、引き続いて、被告人Aから、道の予算では事務費がつかなかったので、道の職員の「活動費」として発注金額の一五パーセント位を負担してほしいとの話があった旨、ほぼ一致して具体的かつ明確に供述している。これらの供述は、その内容自体合理的であり、被告人D、被告人Cの供述によって認められる、被告人Dの被告人Cに対する帰社後の報告内容とも符合しており、その信用性は高いと認められる。
そうすると、「ポプラ」において、被告人Aから被告人Dに対し、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託業務を道コンに発注することを前提として、その受注額の一定額を割り戻すという方法による金員供与の要求があったことは優に認定することができる。
被告人Aの前記供述は、その内容自体不合理、不自然であるうえ、その後の被告人Dの行動や被告人Cの対応とも符合せず、到底採用の限りではない。
(三) 金員供与の約束と請託
被告人Cと被告人Dの弁護人は、昭和六〇年度の交通関係三本の戦プロ可能性調査の委託業務は、道が独自に道コンに発注する方針を固めて打診してきたもので、被告人Cと被告人Dの立場は受動的なものにすぎないから、両被告人の側から「請託」するということは論理的にも常識的にもあり得ないし、実際にも、道コンは一種の道策会社であり、道の仕事はたとえ赤字であっても受注するのが当然のことであり、しかも、戦プロの可能性調査は当初から赤字の予想される業務で、営業面ではマイナスであったから、両被告人としては、道コンの受注に向けて被告人Aに働きかける状況にはなく、結局、被告人Cと被告人Dによる「請託」は存在しなかったと主張する。
しかしながら、「一条亭」での会食の席で戦プロ関係調査に関する話題が出ていたものと認められることは前述したとおりであり、また、被告人Cは、被告人Dから「ポプラ」の席での話の報告を受けた際、「しゃーないな。」と答えて被告人Aの依頼を承諾し、これを受けた被告人Dが、翌日、被告人Aに対して電話をかけ、「あの件は承知しました。宜しくお願いします。」と述べているのであるから、当初金員の供与を要求したのは被告人Aの方であったとしても、最終的には、被告人Cと被告人Dの側も、その要求に応じて金員を供与する旨被告人Aに約束し、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託業務の道コンによる受注に向けての便宜な取り計らいを要請したといえる。
道コンの性格や戦プロ可能性調査受注の採算性に関して弁護人が指摘する点は、被告人Cと被告人Dの側から受注に向けての積極的・能動的な働きかけを行う必要性を否定する根拠となる場合はあるとしても、本件のように、道の戦プロ担当者の側から、道コンへの発注を前提として、その受注額の一定割合の金額を割り戻すという方法による金員供与の要求があり、これに応じる形で消極的・受動的に請託を行うことまで当然に否定する根拠とはなり得ないというべきである。しかも、被告人Cと被告人Dが捜査段階で述べているように、将来、戦プロ関連事業が現実化し、道コンの他の現業部門が担当する現業関係の受注が見込まれる場合に備えるために、当初の赤字は覚悟のうえで中・長期的な展望から戦プロ可能性調査を受注するということも、企業の経営方針として十分あり得ることである。
以上によれば、被告人Cと被告人Dは、共謀して、被告人Aに対し、道コンによる昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託業務の受注につき便宜な取り計らいをするよう請託をしたものと認定することができる。
(四) 被告人Cの関与
被告人Dが、「ポプラ」での面談の様子を被告人Cに報告した状況は前述したとおりであるところ、被告人Cと被告人Dの弁護人は、被告人Cとしては、昭和六〇年度戦プロ可能性調査に関する「活動費」の負担の件で被告人Aと直接話をしたこともなく、被告人Dから被告人Aに対して、被告人Cの関与につき言及したことも一切ないから、被告人Aと被告人Cとの間で金員供与の約束が成立するというのはあり得ないと主張し、被告人Aも、被告人Cが「活動費」の負担の件に関与していたとの認識を欠いていたという趣旨の供述をしている。
しかしながら、被告人Dと被告人Cが右請託の共謀を遂げたことは前述のとおりであり、また、被告人Aの収賄罪の成立には、被告人Cとの直接的な折衝がなくても、被告人Dからの金員供与の約束と請託があれば十分であるから、弁護人の主張は、被告人Aや被告人D・被告人Cの犯罪の成立に影響を及ぼすものではない。しかも、被告人A自身、公判廷で、「活動費」の負担は、被告人D個人ではなく、道コンに会社として依頼するつもりであった旨認めており、さらに「一条亭」での会食の席でも、前述のとおり、被告人Dの上司である被告人Cが、被告人Aの戦プロに関する説明に積極的な関心を示していたのであるから、「ポプラ」で被告人Dが「活動費」の負担につき即答を避け、その場では「会社に帰って相談してから御返事します。」と返答したことで、道コン側の請託について被告人Cが関与することを、未必的にせよ認識し得たものと認められる。
また、被告人Cが、金員供与の約束を成立させ、道コンへの委託業務発注の請託を伝達するためには、何も自分自身で直接被告人Aと折衝する必要はなく、部下である被告人Dに指示し、同被告人を通じて、自らの意向を被告人Aに伝えることで十分である。そして、実際にも、被告人Cは、「活動費」の負担に関する被告人Aとの折衝につき逐次被告人Dから報告を受け、その都度被告人Dに必要な指示や承諾を与えていたのであるから、「活動費」という名目による金員供与の約束や道コンによる委託業務の受注に向けての請託について、主体的・実質的に関与していたものと認めることができる。
そうすると、前記のとおり、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託業務の外部発注に関し、被告人Aが、被告人Cと被告人Dの両名に対して、「活動費」という名目による金員の供与を要求し、被告人Cと被告人Dの両名が、被告人Aに対して、道コンの受注を前提として金員を供与する旨約束するとともに、道コンへの発注につき便宜な取り計らいをするよう請託をしたものと認定することができるのである。
被告人Cと被告人Dの弁護人の前記主張は、外形的・形式的な事象のみを根拠とする独自の見解であって、採用できない。
二 昭和六一年度戦プロ推進調査関係
1 開研関係
(一) 被告人Aの弁護人及び被告人Bの弁護人は、昭和六一年度戦プロ推進調査の委託業務については、すでに同年二月の段階からいわゆる「前倒し」実施がなされており、前年度の受注業者に継続発注されることが確実であったから、被告人Bには戦プロ推進調査の受注に関して「請託」を必要とする理由は全くなかったと主張する。
しかし、昭和六一年度戦プロ推進調査の委託業務についても、昭和六〇年度の場合と同様、受注額の一定割合の金額を割り戻すという方法により金員を供与することを承諾した者が、その前提となる受注を望まないということはあり得ないことであるばかりか、当時の状況としては、昭和六一年度についても、指名競争入札の方法により受注業者が決定されることも十分予想し得たところであり、現に、道庁財政課はこの方法によることを主張したため、被告人Aが、わざわざ部下に過去の先例を調査させるなどして、財政課と折衝した結果、随意契約の形式に改められたという経緯がある。また、仮に当初から随意契約の方式をとることになっていた場合でも、その契約業者が前年度の受注業者と一致すべき必然性はなく、実際にも、開研の成果品の中には、出来が悪く、開発調整部の方でやり直したものも存在していた。
そうすると、昭和六一年度においても、指名競争入札の形式をとるにせよ、随意契約の形式をとるにせよ、戦プロ推進調査を開研に発注すること自体が開研にとって有利な取扱いになるのであるから、被告人Bの側には、昭和六一年五月の時点において、前年同様、被告人Aからの要求に応じる形で、被告人Aに対し、戦プロ推進調査を開研に委託発注することで便宜な取り計らいを要請する理由は十分存在していたものと認められる。
(二) また、被告人Bの弁護人は、被告人Bが昭和六一年度戦プロ推進調査につき有利な取り計らいを求める言葉を現実に口に出して言っていないから、「請託」は存在しないと主張する。
しかし、贈収賄における請託は、何も言葉等で明示的に行う必要はなく、収賄者側から便宜供与の見返りとして金員供与の要求があった場合に、これに応じること自体で暗黙に行うこともできるから、弁護人の主張には飛躍がある。そして、被告人Bは、昭和六一年度戦プロ推進調査の委託業務は昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託業務と一連のものと認識していたというのであるから、前述のとおり、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託発注に関して「請託」の存在が認められる以上、昭和六一年度戦プロ推進調査についても、同様の趣旨で、被告人Aの金員供与の要求を承諾したものと推認するに難くない。
(三) 以上によると、昭和六一年度についても、昭和六〇年度の場合と同様、開研の受注と金員の供与が表裏一体の関係になっている本件においては、被告人Aと被告人Bが昭和六一年五月の会合で前記戦プロ推進調査を開研に受注させることにつき意思を通じたことをもって、被告人Bの被告人Aに対する請託があったと認定することができる。
2 道コン関係
被告人Aの弁護人及び被告人Cと被告人Dの弁護人は、昭和六一年度戦プロ推進調査の委託業務については、すでに同年二月の段階からいわゆる「前倒し」実施がなされており、前年度の受注業者に継続発注されることが確実であったとして、被告人Cと被告人Dには戦プロ推進調査の受注に関して「請託」を必要とする理由はなかったと主張する。また、被告人Cと被告人Dの弁護人は、被告人Dは被告人Aの金員供与の要求に応じただけで、昭和六一年度戦プロ推進調査について有利な取り計らいを求める言葉を現実に口に出して言っていないから、「請託」は存在しないと主張している。
しかしながら、被告人Bについて述べたのとほぼ同様の理由から、被告人Cと被告人Dの側には、昭和六一年四月の時点において、被告人Aからの要求に応じる形で、被告人Aに対し、昭和六一年度戦プロ推進調査を道コンに委託発注することで便宜な取り計らいを要請する理由が十分存在していたと認めることができるし、また、被告人Dが、昭和六一年四月下旬ないし五月上旬ころ、被告人Aから道コンの受注額の中から金員を割り戻すよう要求され、これを承諾して、道コンの受注に関する便宜供与につき暗黙の意思を通じたことをもって、被告人Dの被告人Aに対する請託があったと認定することができる。
第三 賄賂性の有無
一 昭和六〇年度戦プロ可能性調査関係
1 被告人四名の弁護人は、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の業務委託に関して授受された金員は、戦プロ事業の推進に必要不可欠な「事務費」に充てるための「調整費」あるいは「活動費」であって、賄賂に当たらないと主張し、特に、被告人Aの弁護人は、昭和六〇年度の戦プロ関係予算については、事務費が計上されなかったため、被告人Aとしては、戦プロ関係調査の推進のためには事務費の手当が必要不可欠と考え、受注業者側に負担してもらおうとしたにすぎず、私利私欲のために金員の供与を要求したものではないから、開研や道コンから振込送金された金員は賄賂には当たらないと主張している。
しかしながら、昭和六〇年度戦プロ可能性調査は、当初から民間への委託発注が予定されていたものであるから、それに関する開発調整部内の事務費としてそれほど多額の金員を必要とする性質のものではなかったうえ、戦プロ自体も、新長期計画の一環として位置付けられており、そのための事務費も新長期計画関係の予算に一括して計上されていたのであるから、何も昭和六〇年当初の段階から、被告人Aが、道庁内部の正規の予算手続を経ることなく、個人的に、将来における戦プロの実現に向けて事務費の調達をしておく必要性はなかったものというべきである。そのうえ、被告人Aが、「事務費」あるいは、「活動費」として想定していたという金員の支出項目は、道庁職員の出張旅費や各種の会議費というものであって、本来、一公務員である被告人A個人が調達すべき筋合いの金員ではないし、そもそも昭和六〇年三月上旬の時点において、道庁職員の出張や各種会議の開催が、戦プロの実現にとってまさに必要不可欠であったという事情も認められない。そして、戦プロ可能性調査を進めていく過程で突発的に事務費の不足が生じたような場合には、その都度、道庁内で対策を講じたり、具体的な使途を明確にして個別に業者側の協力を求めれば済むことであって、前もってその資金をプールしておくために、個別的、具体的な使途を明らかにせず、受注額の一定割合の金額を割り戻させる方法で金員を要求する必要性は全く存在しない。しかも、本件においては、「調整費」あるいは「活動費」の使途ないし運用方法についてはすべて被告人Aに一任されており、被告人Bや被告人C、被告人Dの側でその事後的な確認や承認をすることも全く予定されていなかったものであるから、結果として、被告人Aには「調整費」ないし「活動費」の使途、運用方法等につき自由裁量ないし独占権限が与えられることになり、それ自体、北海道吏員としての被告人Aの活動、地位、評価、影響力等について職務上、身分上の利益をもたらすという関係になっていた。また、受注業者の側としても、正規の受注契約による限り、何も受注額の一定割合の金員を割り戻す必要はないわけで、仮にそのような支出が当初から必要なのであれば、当然その分を差し引いた金額の経費によって受注業務を遂行することにならざるを得ず、結果として、その業務に関しては、成果品の品質低下、作業日程の遅れ等の面で発注者側に不利益を被らせることにもなりかねない。
このようにみてくると、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の委託発注に関して授受された金員は、戦プロ可能性調査の委託業務の受注を期待する業者が、発注側の公務員に対して、正規の予算手続を経ていないことを承知のうえで、その使途ないし運用方法を公務員個人に一任して供与したものであるから、たとえその全部又は一部が結果的に戦プロ事業の推進のために使用されたとしても、受領者である公務員にとっては、まさに不正の利益に当たるというべきである。
2 次に、被告人四名の弁護人は、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の発注形式については、開発調整部では当初から随意契約とすることが予定されていたのであるから、被告人Aに便宜供与を図る余地はなく、金員の供与と職務行為との間には対価性はないとして、本件の「調整費」ないし「活動費」には賄賂性はないという趣旨の主張もしている。また、被告人Aの弁護人は、さらに、被告人Aが道の指名業者決定委員会に欠席し、株式会社野村総合研究所に対して指名競争入札に参加するよう説得するために出張していたことをもって、昭和六〇年五月三一日に行われた指名競争入札は単に形式的なもので、同年度の戦プロ可能性調査の委託業務の発注は実質的には随意契約によるものであったということの根拠として、そのような発注形式においては、被告人Aに受注業者の決定に関して便宜供与を図る余地はなかったという主張もしている。
しかしながら、被告人Aは、前述のとおり、昭和六〇年三月当時、開発調整部参事(計画)の主幹として、戦プロの立案、予算化、発注等の事務の遂行に関して中心的な役割を果たしており、委託発注方式の決定、受注業者の選定等に関して、影響力を行使できる地位と職務権限を有していたものである。そうすると、仮に指名競争入札ではなく、随意契約の方式を採用することとなれば、その影響力行使の可能性はより強くなるという関係にあったというべきであるし、結果的に、指名競争入札の方式をとることになったとしても、指名業者への選抜、いわゆる当て馬業者への根回し、落札予定価格の事前漏洩等、いろいろな便宜供与を図る余地は大きいものがあったと認められる。
したがって、昭和六〇年三月に被告人Aが「調整費」ないし「活動費」を要求した時点においても、被告人Aには、開研や道コンに対して、委託発注方式の決定、受注業者の選定等について、便宜供与を図る余地があったといえるし、実際にも、被告人Aは、開発調整部参事(計画)の参事に昇格した後、昭和六〇年五月三一日の指名競争入札の実施に当たり、開研や道コンに対して、指名業者への選抜や他の業者への根回し、入札予定価格の事前漏洩などの便宜供与を図っている。また、被告人B、被告人C及び被告人Dの公判供述や捜査段階における供述によれば、昭和六〇年度において開研や道コンで「調整費」ないし「活動費」を負担するのには、戦プロ可能性調査を受注することが当然の前提となっており、被告人Aとしても、開研や道コンが「調整費」ないし「活動費」を負担しない限り、開研や道コンのために右のような便宜供与を図るはずはないものであるから、開研や道コンによる「調整費」ないし「活動費」の負担と戦プロ可能性調査の受注とは、まさに表裏一体の関係にあったものと認めることができる。
3 以上によると、被告人Aの職務行為と開研や道コンによる「調整費」ないし「活動費」の支払との間には優に対価性を肯定することができ、結局、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の業務委託に関して授受された「調整費」ないし「活動費」は賄賂であると認めることができる。
二 昭和六一年度戦プロ推進調査関係
1 被告人四名の弁護人は、昭和六一年度戦プロ推進調査の業務委託に関して授受された金員も、戦プロの推進に必要不可欠な事務費に充てるための「調整費」ないし「活動費」であって、賄賂に当たらないとの主張をしている。
しかしながら、昭和六一年度においては、道庁の予算においても戦プロ関係独自の事務費が計上されており、我孫子開発調整部長や神山参事をはじめ、実際に戦プロ業務の遂行に携わっていた同部職員らの証言ないし供述によると、昭和六一年度の戦プロ関係業務については事務費に不足をきたしたことはないと認められるし、仮に、戦プロ推進調査を進めていく過程で不測の事態が生じて、突発的に事務費の不足が生じるような場合には、その都度、道庁内で対策を講じたり、具体的使途を明確にして個別に業者側の協力を求めれば済むことであって、前もって資金をプールしておくために、個別的、具体的使途を明らかにせず、受注額の一定割合の金額を割り戻させる方法で金員を要求する必要性は全く存在しない。さらに、昭和六一年度においても、被告人Aが想定していたという支出項目である出張旅費や会議費は、本来一公務員である被告人A個人が調達すべき筋合いの金員ではないし、昭和六一年四月ないし五月上旬の時点において、そのような活動が戦プロ推進調査の実現にとって必要不可欠であったという事情も認められない。しかも、本件においては、前述のとおり、「調整費」ないし「活動費」の使途、運用方法については被告人Aに自由裁量ないし独占権限が与えられるという関係になっていたのであるから、「調整費」ないし「活動費」の供与は、結果として、北海道吏員としての被告人Aの活動、地位、評価、影響力等についての職務上、身分上の利益をもたらすべきものであった。また、受注業者の側としても、そのような金員を負担するとなれば、結果的に発注者側に不利益を被らせる事態になりかねないことも、前述したとおりである。
このようにみてくると、昭和六一年度戦プロ推進調査の業務委託に関して授受された「調整費」ないし「活動費」についても、戦プロ推進調査の委託業務の受注を期待する業者が、発注側の公務員に対して、正規の予算手続を経ていないことを承知のうえで、その使途ないし運用方法を公務員個人に一任して供与したものであるから、たとえその全部又は一部が結果的に戦プロ事業の推進のために使用されたとしても、受領者である公務員側にとっては、まさに不正の利益に当たるというべきである。
2 なお、被告人Aは、昭和六一年度においては道の予算で戦プロ関係独自の事務費が計上されたにもかかわらず、昭和六一年度戦プロ推進調査についても「調整費」ないし「活動費」を要求した理由について、将来開発調整部以外のいわゆる原部局が右調査の発注主体になった場合には、正規に予算計上された事務費はこれらの部局に割り振らなければならなくなるため、開発調整部独自の事務費を留保しておく必要があった、あるいは、例えば原子力関係の秘密調査など、表面には出せない事業の遂行のための費用を調達しておく必要があったからであるなどと供述している。
しかし、前者の理由については、仮に、他の部局が戦プロ推進調査の発注主体となるのであれば、開発調整部自体においては、受注額の一五ないし二〇パーセントという多額の事務費が必要になるはずはないのであるし、後者の理由についても、戦プロ事業の推進と直接的な関係を有する調査事項ではなく、何も昭和六一年度戦プロ推進調査にからめて受注業者からの割り戻しという方法により資金を捻出すべき筋合いのものではない。そうすると、被告人Aの右供述は、単なる弁解の域を出るものではなく、到底採用することができない。
3 次に、被告人四名の弁護人は、昭和六一年度戦プロ推進調査は、前年度の受注業者に対して随意契約の方法により発注されることが当然に予定されていたものであるから、受注業者の選定等に関して被告人Aに便宜供与を図る余地はなく、結局、金員の供与と職務行為との間には対価性はないとして、本件の「調整費」ないし「活動費」には賄賂性はないという趣旨の主張もしている。
しかしながら、前述のとおり、昭和六一年度においても、財政課は、当初は道の事業の公正さを担保するためにも指名競争入札の方が望ましいと考えていたのであり、それを、開発調整部の方が、被告人Aの指示に基づき、前例を検索するなどしたうえ、随意契約の方式を採用するよう働きかけたという経緯が存在する。そうすると、被告人Aが、開発調整部参事(計画)の参事の地位にあり、昭和六一年度戦プロ推進調査の業務委託に関して「調整費」ないし「活動費」を要求した昭和六一年四月ないし五月上旬の時点においては、被告人Aには、開研や道コンに対して、委託発注方式の決定、受注業者の選定等について、便宜供与を図る余地があったといえるし、実際にも、被告人Aは、財政課への働きかけ等を通じ、開研や道コンが戦プロ推進調査を受注できるように便宜供与を図っている。そして、昭和六一年度についても、開研や道コンで戦プロ推進調査を受注することが、「調整費」ないし「活動費」を負担することの前提となっていたことは、被告人Bや被告人C、被告人Dの公判供述や捜査段階の供述からも明らかであり、被告人Aとしても、開研や道コンが「調整費」ないし「活動費」を負担しない限り、右のような便宜な取り計らいをするはずはないのであるから、開研や道コンの「調整費」ないし「活動費」の負担と戦プロ推進調査の受注とは、まさに表裏一体の関係にあったものと認めることができる。
4 以上によると、被告人Aの職務行為と開研や道コンによる「調整費」ないし「活動費」の支払との間には優に対価性を肯定することができ、結局、昭和六一年度戦プロ推進調査の業務委託に関して授受された「調整費」ないし「活動費」についても、賄賂であると認めることができる。
三 被告人Aの弁護人が引用する裁判例について
被告人Aの弁護人は、本件の「調整費」ないし「活動費」の支払は、特定の公務員の職務に対する対価ではなく、道庁全体の事業に対する資金の援助たる性格を有するものであって、そのような性質の金員が賄賂に該当しないことは判例上も認められていると主張し、東京高裁昭和四一年七月一五日判決(東京高検速報一四九九号一一頁)を引用する。
しかしながら、本件では、道庁の職員である被告人Aが、単独で、独自の判断により、受注業者も決定されていない段階において、戦プロ関係調査の受注により業者側に利益が出るかどうかに関係なく、受注額の一定割合の金額を割り戻させるという方法で金員の供与を要求し、業者側も、発注業者の選定等に関して便宜供与を求める意図で、この要求に応じて、被告人Aが自由に使用できるような方法で金員を交付したものであるから、本件の「調整費」ないし「活動費」の提供を、道庁全体の事業に対する資金援助たる性格を有していたものとみることはできない。右の裁判例は、当時の国鉄職員数名が、正規の予算では賄い切れない接待費や飲食費等の捻出方法につき相談した結果、駅工事を受注した建設業者が取得する利益の中から一定額を負担してもらうこととし、その旨を受注業者に要請したところ、受注業者側は、駅工事につき有利かつ好意ある取り計らいを求める意図のないまま、その利益の一部を割いて、組織としての国鉄東京工事局建築課や川崎工事区側に金員を交付したという事案に関して、国鉄職員個人に対する贈収賄罪の成立を否定したものであって、本件とは事実関係を異にする裁判例であるから、本件に直接当てはめることはできない。したがって、被告人Aの弁護人の右主張は、採用できない。
第四 贈収賄の動機、賄賂性の認識
一 被告人Aについて
1 被告人Aの弁護人は、被告人Aには開研や道コンに対して賄賂を要求する動機はなく、また、仮に賄賂だと認識していたのであれば、喫茶店「ポプラ」のような人目の多い場所でその供与を要求するという「やましい」行為をするはずはないとして、被告人Aが本件「調整費」ないし「活動費」につき賄賂であるとは認識していなかったという趣旨の主張をし、被告人Aも、公判廷において、この主張に沿う供述をしている。
2 そこで、まず、動機の点について検討する。
(一) たしかに、弁護人が指摘するとおり、被告人Aの自白供述のない本件証拠関係においては、同被告人の金員供与の要求の動機の全てが特定できているとはいい難い。しかし、被告人Aが、道庁の正規の経理手続を経ず、自らの自由裁量により使用するつもりでいる金員を、自らの意思で決断して要求する行為に出た本件においては、その動機の具体的内容がどのようなものであったかはともかく、この行為に対応する動機が存在していたことは明らかであるから、動機の特定性は問題が直ちに被告人Aの収賄罪の成否に影響を及ぼすような関係にあるわけではない。しかも、次に述べるように、被告人Aには、金員供与の要求をするについての具体的な動機もいくつか認められるのである。
(二) 検察官は、被告人Aの金員供与の要求の動機について、被告人Aは、昭和六二年に予定されていた北海道知事選挙での保守政党による道政の奪還を目指し、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の業務委託に関して受領した「調整費」ないし「活動費」についても、自由民主党の中川義雄道議会議員を同知事選挙の候補者として擁立するための政治集会であったトークイン北海道(以下「トークイン」という。)の開催費用等に支出したとして、被告人Aの開研や道コンに対する金員供与の要求が、そのような政治的動機に基づくものであったという趣旨の主張をしている。
たしかに、被告人Aの供述、中橋、稲垣、白尾宣彦及び石山雅博の証言、石山直行及び安武良平の検察官調書等によれば、被告人Aが、昭和六〇年秋ころ、北海道の政治には保守党政権の方が望ましいと考え、選挙対策事務所としても使用可能な事務所の確保を指示するなど、中川道議会議員の知事候補擁立に向けての具体的な活動を開始していたことが認められるほか、開研や道コンから振込送金された「調整費」や「活動費」の中からは、少なくとも一時的には実際にトークイン関係の費用の支出に充てられたものとみて不自然ではない帳簿処理がなされていたことも認めれる。そうすると、被告人Aが初めて「調整費」ないし「活動費」を要求した昭和六〇年三月の時点において、その動機には、調達した資金を将来トークイン関係の費用に充てるという意図が含まれていたとみることもできる。
しかしながら、他方、被告人Aは、開研や道コンから振込送金された「調整費」ないし「活動費」を、戦プロに関連した各種委員会の運営費や京王プラザホテル札幌の室料、道庁職員の出張の際の宿泊料など、トークインの開催費用以外にも支出していることが認められる。したがって、前記金員供与の要求の動機には、これらの費用に充てようとの意図も含まれていたとみることもできるのであって、もっぱら北海道知事選挙をにらみ、中川道議会議員擁立のためのトークインの開催費用を捻出するという政治的な意図だけが、その動機であったとまで認定することは困難である。
(三) また、被告人Aが、昭和六〇、六一年当時、戦プロ事業の実現を望んでそのための職務に熱心に取り組んでいたことは、弁護人も主張するとおりであるが、他方、被告人Aは、この目標を達成すことにより、自分自身の公務員としての栄達や影響力の増大を図り得る立場にあったものである。そして、被告人Aは、実際にも、数名の部下達に対してそれぞれ現金一〇万円を手渡すなどして、戦プロ関係事務の推進に対する協力を求め、自らの影響力の増大を図っていたことが認められる。そうすると、被告人Aが、本件の「調整費」ないし「活動費」を要求した動機には、このような栄達や影響力の増大を図ろうとの意図が含まれていたとみることもできる。
3 次に、被告人Aの賄賂性の認識について検討する。
(一) 贈収賄罪における賄賂性の認識は、職務行為の対価としての不正な利益であることを認識していれば足りるのであって、いわゆる「やましい」などという心情的背景に裏付けられている必要のないことはいうまでもない。そして、被告人Aは、昭和六〇、六一年において、開発調整部の上司や同僚に何ら相談することなく、道庁の正規の手続では到底捻出できない性質の金員を、自らの裁量ないし権限により自由に使用するという暗黙の了解のもとに、戦プロ関係調査の委託発注の前提条件として、特定の発注先候補業者に要求したものであり、かつ、被告人Aの公判供述によれば、これらの事実関係については、被告人A自身の認識においても何ら欠けるところはなかったと認められる。
そうすると、被告人Aは、昭和六〇年度戦プロ可能性調査及び昭和六一年戦プロ推進調査の業務委託に関して開研や道コンから振込送金された「調整費」ないし「活動費」が賄賂であることを認識していたと認定することができる。
(二) 被告人Aの賄賂性の認識を否定する弁護人の主張については、前述のとおり、賄賂性の認識に「やましい」などという心情的背景は必要でないこと、金員供与の要求は、ごく短時間でも、また「賄賂」と明言しなくても行い得る事柄であるから、人目につきやすいとの弁護人の主張を前提としても、「ポプラ」における全体としても約一〇分程度で終了した会話の中で行うことは十分可能であったこと、被告人Aの弁護人が自らの見解を裏付ける根拠として引用する東京高裁平成四年三月三日判決(いわゆる撚糸工連事件控訴審判決。判例時報一四二三号一三八頁等。)は、賄賂とされる現金の授受の現場に関して判断したものであって、本件のような金員の要求の現場について判示したものではないから、事実関係を異にし、本件の先例的価値を有するものではないことなどに照らすと、採用することができない。
二 被告人Bについて
1 昭和六〇年度戦プロ可能性調査関係
(一) 被告人Aの弁護人は、被告人Bが昭和六〇年二月八日に被告人Aから依頼された「企画書」の作成を同年三月まで遅延したことにも現れているように、被告人Bには当時被告人Aに対して賄賂を贈る動機が存在しなかったとして、また、被告人Bの弁護人は、被告人Bが、メープル企画の発起人や取締役に就任したこと、「調整費」ないし「活動費」(以下、被告人Bの供与した金員については「調整費」の用語を用いることとする。)の支払を銀行振込という方法で公然と行ったこと、開研社内にもメープル企画への支出につき明確に説明・報告していることなどを理由として、いずれも被告人Bには昭和六〇年度戦プロ可能性調査の業務委託に関して授受された金員につき賄賂であることの認識がなかったと主張し、被告人Bも、捜査段階では賄賂性の認識があったことを肯定する趣旨の供述をしていたものの、公判廷ではこれを否定し、弁護人の主張に沿う供述をしている。
(二) そこで、まず、動機の点につき検討すると、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の民間委託の話は、被告人Aの方から被告人Bに対して持ちかけられたものであって、被告人Bとしては、この調査に対して、当初から積極的に開研として参画しようという意図を持っていたわけではないから、被告人Bが、他の手持ちの作業の処理のために、被告人Aから依頼された企画書の作成を遅延させてしまったことをもって、直ちに被告人Bには賄賂を贈る動機がなかったということになるわけではない。むしろ、営利企業である開研にとっては、被告人Aの依頼に応じる形で戦プロ関係の仕事を受注できるのであれば、その利益に資することは明らかな状況にあったから、被告人Aから企画書の作成を依頼された昭和六〇年二月の時点では、年度末の仕事が山積していて、その作成に取りかかるのが遅れたが、戦プロ可能性調査の民間への委託発注が確実になった同年三月の時点においては、被告人Aに金員を供与してでも道の仕事を受注したいと考えたという趣旨の被告人Bの捜査段階における供述は、当時の状況に照らして極めて自然であり、十分信用できるというべきである。したがって、被告人Bには、右供述どおりの賄賂の動機があったと認定できるから、動機の欠如を前提として賄賂性の認識を争う弁護人の主張部分は、その前提を欠くことになる。
(三) 次に、被告人Bの賄賂性の認識の点について検討すると、被告人Bとしては、昭和六〇年三月当時、被告人Aから、同年度には戦プロ関係独自の事務費が計上されなかったとの説明を受け、戦プロ可能性調査の受注の前提条件として、正規の手続では到底捻出できない性質の金員を、被告人Aの裁量ないし権限により自由に使用するという暗黙の了解のもとに、「調整費」として被告人Aに支払う旨承諾したものであり、しかも、被告人Bの側ではその使途ないし運用方法についての事後的な確認や承認をすることは全く予定されていなかったのであって、これらの事実関係について被告人B自身が正確に認識していたことは、同被告人の公判供述によっても認めることができる。
そうすると、賄賂性の認識を肯定する内容の被告人Bの捜査段階における供述は、十分信用することができるのであって、被告人Bが昭和六〇年度の「調整費」を賄賂であると認識していたことは優に認定することができる。そして、このことは、被告人Bが、同年五月から六月にかけて、受注額の約二〇パーセントに当たる金員を割り戻すために、開研社内の経理処理としては実体のない再委託契約の形式を作出し、その振込送金先としても、被告人Aに指示されたとおり、道庁とは何の関係もないメープル企画という新設の民間会社宛に行う旨の約束をしたことからも裏付けられる。
これに対して、被告人Bの弁護人が、被告人Bの賄賂性の認識を否定する根拠として指摘する個別事情は、次に述べるとおり、その根拠となるものではない。まず、「調整費」の支払を銀行振込の方法によることにしたのは、被告人Aからの指示に従ったにすぎないのであるし、また、銀行振込という方法が、関連事項の記録が残るという点では、手交等に比べてより公然性があることは否定できないところであるとしても、銀行取引として保護される範囲では秘密性が保持されるのであって、およそ賄賂を供与する方法としてはとり得ないほど公然性のあるものではないから、銀行振込の送金方法をとったことをもって、賄賂性の認識を欠く根拠とすることはできない。次に、被告人Bが、開研社内においてメープル企画に対する再委託のことについて説明・報告していたという点は、被告人Aに割り戻す金員を開研が道庁から受領する調査委託費の中から再委託の形をとって捻出することとしたため、必然的に行わざるを得なかったものと理解されるのであり、また、仮に、被告人Aへの金員供与につき真に社内的な了解を得るためであったというのであれば、その再委託が、成果品の納入を伴わない単に形式を整えるだけのものであるということまで、ありのままに説明・報告すべきものであるのに、被告人Bはそこまでの説明・報告をしていないのであるから、この点も、被告人Bの賄賂性の認識を否定する根拠とはなり得ない。さらに、被告人Bが、メープル企画の発起人や取締役に就任したことは、賄賂性の認識の存在と何ら矛盾するものではない。以上のとおり、弁護人の主張は、いずれも理由がない。
また、被告人Bは、公判廷において、開研としては、以前にも官公庁側に「調整費」ないし「活動費」を支出する例があったとして、それを根拠に本件における賄賂性の認識を否定する趣旨の供述をしている。
しかし、被告人B自身、相手に迷惑がかかるなどとして、その具体的な内容を明らかにすることを拒否しているうえ、開研の創始者である笹生仁も、そのような慣行の存在を明確に否定する証言をしているから、被告人Bの右公判供述は裏付けを欠き、信用することがでいない。なお、念のため付言すると、被告人B自身、その前例の内容としては、具体的な使途が定められ、定額で支出するというものであったとし、本件のように、発注業者の決定以前の段階で、各種の会議費や道庁職員の主張旅費という以外に個別的、具体的な使途も明示されず、受注額の一定割合による金額を包括的に負担するよう要求され、しかも、官公庁とは何ら関係のない新設の民間会社に対して、実体のない再委託の形式をとって支払ったというものではなかったと認めているから、被告人Bのいう前例は、同被告人の賄賂性の認識の存否の判断に影響を及ぼすようなものではない。
2 昭和六一年度戦プロ推進調査関係
被告人Bの弁護人は、昭和六一年五月当時は、戦プロ関係調査の事業化に向けて各種委員会や関係企業・研究機関等の意見交換会も活発になっていた時期で、昭和六一年度戦プロ推進調査の遂行のためにはまさに「調整費」ないし「活動費」が必要な状況にあったのであり、さらに、被告人Bが、昭和六〇年度と同様、メープル企画への再委託につき開研の経営者会議等で報告し、執行計画書等の社内書類にも明確に記載し、銀行振込という必然の送金方法をとるなど、メープル企画への送金の事実をことさら隠匿していないことからしても、被告人Bには、昭和六一年度の「調整費」について賄賂性の認識がなかったと主張し、被告人Bも、公判廷で、この主張に沿う供述をしている。
しかしながら、被告人Bは、昭和六一年度においても、昭和六〇年度と同様、戦プロ推進調査の受注の前提条件として、正規の手続では到底捻出できない性質の金員を、被告人Aの裁量ないし権限により自由に使用するという了解のもとに、その使途等についても事後的な確認や承認を全く予定せずに、「調整費」として被告人Aに支払う旨承諾したものであり、これらの事実関係について被告人Bが正確に認識していたことは、同被告人の公判供述によっても認められる。そうすると、賄賂性の認識を肯定する内容の被告人Bの捜査段階における供述は、十分信用することができるというべきであって、被告人Bが昭和六一年度の「調整費」についても賄賂であると認識していたことを優に認定することができる。そして、このことは、被告人Bが、同年五月、被告人Aの指示に基づき、開研社内の経理処理や振込送金先も前年度と同じようにして、後述のとおり、受注額の約二〇パーセントに当たる一五〇〇万円を割り戻す旨の約束をしたことからも裏付けられる。
被告人Bの弁護人が、昭和六一年度の「調整費」に関し、被告人Bの賄賂性の認識を否定する根拠としてあげる前記の個別的な事情は、昭和六〇年度の場合と同様の理由で、その根拠となるものではないから、弁護人の主張は採用できない。
3 なお、被告人Bの弁護人は、開研は、被告人Aが道庁を退職した後に発注された昭和六三年度の戦プロ関係調査についても継続受注したが、同年度においては「調整費」ないし「活動費」を負担していないのであるから、昭和六〇、六一度においても、「調整費」の支払と開研の受注とは対価関係にはなかったとして、被告人Bには賄賂性の認識が存在しないという趣旨の主張もしている。
しかしながら、開研が昭和六三年度の戦プロ関係調査の業務委託を受注した際には、発注者側から「調整費」ないし「活動費」の支払を要求されていないのであって、その要求があった昭和六〇、六一年度とは受注に至る経緯が異なるのであるから、弁護人の主張は当を得ていない。昭和六〇年度や同六一年度において、開研が「調整費」を支出したのは、まさに被告人Aが道庁に在職して戦プロ関係の事務を担当・統括し、被告人Bに対してその負担を要求したからこそであって、このことは、かえって被告人Aの職務行為と「調整費」の支払とが対価関係にあったことを示す証左であるというべきものである。
三 被告人Dについて
1 昭和六〇年度戦プロ可能性調査関係
(一) 被告人Aの弁護人と被告人Dの弁護人は、昭和六〇年三月当時は、道コンにしても被告人D個人にしても、被告人Aに対して賄賂を供与する動機がなかったとし、また、被告人Dの弁護人は、昭和六〇年度の「活動費」の負担要請の経緯をみても、道庁のエリート職員であり、被告人Dも全幅の信頼を置いていた被告人Aや中橋が、喫茶店「ポプラ」というオープンな場所で、道庁の予算では戦プロ関係の事務費が計上されなかったとの説明をして、道コン側に「活動費」の負担を要請したものであり、しかも、その支払方法も銀行振込という公然の手段が用いられているのであるから、被告人Dにおいて本件「活動費」が賄賂であると考える余地はなかったとして、いずれも被告人Dには賄賂性の認識はなかったと主張し、被告人Dも、捜査段階では賄賂性の認識があったことを肯定する趣旨の供述をしていたものの、公判廷ではこれを否定している。
(二) そこで、まず、動機の点につき検討すると、昭和六〇年度戦プロ可能性調査を道コンに発注するという「ポプラ」での話は、昭和六〇年二月八日の「一条亭」でのやり取りがあった後、被告人Aの方から被告人Dに対して持ちかけられたものであるから、被告人Dとしては、自分の方から積極的に賄賂を供与してまで戦プロ可能性調査を受注しようとの意図を持っていなかったとしても、そのことで直ちに賄賂を贈る動機がなかったということになるわけではない。
被告人C、被告人Dの公判供述等によれば、道コンはいわゆる「道策会社」であって、会社としての体面上も、道の大型プロジェクトは赤字を覚悟でも引き受けるという営業姿勢をとっていたというのであるから、昭和六〇年度戦プロ可能性調査の民間への委託発注の方針が広く知れ渡っていた昭和六〇年三月の時点では、道コンとして戦プロ関係の仕事を受注することができるのであれば、右のような道コンの営業姿勢や、戦プロ事業が実現した際に現業関係の受注も期待できるという同社の長期的利益にも合致するという関係にあったものと認められる。被告人Dは、捜査段階において、この「ポプラ」における被告人Aからの「活動費」の負担要請について、道コンとしては交通関係の戦プロ可能性調査を是非受注したいと考えたので、「活動費」の負担要請があったからといってその場で受注を断ることはできなかった、そこでその席では即答を避け、被告人Cに事情を報告し、その了解を得て「活動費」の負担要請に応じることとしたという趣旨の供述をしているところ、この供述内容は、右のような道コンの立場や当時の状況に照らして極めて自然であり、十分信用できるというべきである。したがって、被告人Dには、贈賄の動機があったと認められるから、これを欠くことを前提とする弁護人の主張は失当というべきである。
(三) 次に、被告人Dの賄賂性の認識の点につき検討すると、被告人Dとしては、昭和六〇年三月当時、被告人Aから、同年度には戦プロ関係独自の事務費が計上されなかったとの説明のもとに、受注額の一五パーセントに当たる金員を「活動費」として道コン側で負担してほしいとの要求を受け、戦プロ可能性調査の受注の前提条件として、正規の手続では到底捻出できない性質の金員を「活動費」として被告人Aに支払うかどうかという点につき、上司である被告人Cに報告・相談し、その了承を得たうえ、「ポプラ」での会合の翌日には、被告人Aの裁量ないし権限により自由に使用するという暗黙の了解のもとに、「活動費」として支払うことを承諾する旨被告人Aに伝えたものであり、しかも、被告人Dや被告人Cの側ではその使途ないし運用方法についての事後的な確認や承認をすることは全く予定されていなかったのであって、これらの事実関係について被告人Dが正確に認識していたことは、その公判供述によっても認められる。
そうすると、賄賂性の認識を肯定する内容の被告人Dの捜査段階における供述は、十分信用することができるというべきであって、被告人Dが昭和六〇年度の「活動費」を賄賂であると認識していたことは優に認定することができる。そして、このことは、被告人Dが、同年六月に、本来の外注費を除く道コンの受注額の約二〇パーセントに当たる金員を割り戻すために、道コン社内の経理処理としては実体のない再委託契約の形式を作出し、その振込送金先としても、被告人Aに指示されたとおり、道庁とは何の関係もないメープル企画という新設の民間会社宛に行う旨の約束をしたことからも裏付けられる。
被告人Dの弁護人が被告人Dの賄賂性の認識を否定する根拠としてあげる個別事情のうち、被告人Aや中橋の道庁における地位やこれらの者に対する被告人Dの信頼という点は、被告人Dが、「活動費」の負担要請の話を聞いて返答に躊躇し、その場での即答を避けていること等に照らすと、被告人Dが「活動費」につき道コンとして当然負担すべき金員であると考えていなかったことは明らかであるから、被告人Dの賄賂性の認識を否定する根拠となるものではない。その余の事情も、被告人Bについて述べたのとほぼ同様の理由から、いずれも採用することができない。
また、被告人Dは、公判廷において、道コンとしては、以前にも官公庁側からの要請により、正規の予算では賄い切れない事務費を負担した例があったとして、それを根拠に本件における賄賂性の認識を否定する趣旨の供述をしている。
しかし、この供述は、公判で突如なされたものであるうえ、被告人Dは、相手に迷惑がかかるなどとして、その具体的な内容を明らかにすることを拒否していて、その裏付けを欠いており、信用性に乏しい。さらに、被告人Dの述べる前例の内容は、官公庁側から研究機関等に発注される調査について、一定額の費用を負担するというものであったというのであり、本件のように、発注業者の決定以前の段階で、各種の会議費や道庁職員の出張旅費という以外には個別的、具体的な使途も明示されず、受注額の一定割合による金額を包括的に負担するよう要求され、しかも、官公庁とは何ら関係のない新設の民間会社に対して、実体のない再委託の形式をとって支払ったというものではなかったというのである。そうすると、被告人Dのいう前例は、同被告人の賄賂性の認識の存否の判断に影響を及ぼすようなものではない。
2 昭和六一年度戦プロ推進調査関係
被告人Dの弁護人は、被告人Dが被告人Aから昭和六一年度の「活動費」の負担を要請された昭和六一年五月上旬当時、被告人Dとしては、昭和六一年度の交通関係の戦プロ推進調査が一〇〇パーセント道コンに継続発注されるものと確信していたのであるから、受注の見返りとしての賄賂の要求と受け止める余地がなかったとして、昭和六一年度の「活動費」についても、被告人Dには賄賂性の認識がなかったと主張し、被告人Dも、この主張に沿う供述をしている。
しかしながら、昭和六一年度の交通関係の戦プロ推進調査が、道コン側で「活動費」の支払を拒否したとしても、なお道コンに継続発注されるという保証がなかったことや、被告人Dに昭和六〇年度の「活動費」について賄賂性の認識が認められることは、前述のとおりであるところ、被告人Dは、被告人Aから、「今年も例の件をお願いしたい。」と言われて、昭和六一年度の「活動費」の支払を要請されたものであるから、その金員の趣旨が、昭和六〇年度の「活動費」と同じものであると考えていたものと認められる。
そうすると、昭和六一年度の「活動費」についても、被告人Dには賄賂性の認識があったと認定することができる。
四 被告人Cについて
1 昭和六〇年度戦プロ可能性調査関係
(一) 被告人Aの弁護人及び被告人Cの弁護人は、昭和六〇年三月当時は、道コンにしても被告人C個人にしても、被告人Aに対して賄賂を供与する動機はなかったとし、また、被告人Cの弁護人は、被告人Dについて述べた喫茶店「ポプラ」での会合の状況や金員支払の方法等に加えて、被告人Cが直接被告人Aと接触していないこと、被告人Cは「活動費」の負担要請を即座に承諾していること等に照らすと、被告人Cには本件「活動費」が賄賂であると考える余地はなかったとして、いずれも被告人Cに賄賂性の認識はなかったと主張し、被告人Cも、捜査段階では、賄賂性の認識があったことを肯定する趣旨の供述をしていたものの、公判廷では、これを否定している。
(二) そこで、まず、動機の点につき検討すると、被告人Cにとっても、昭和六〇年度戦プロ可能性調査を道コンに発注するという話は、被告人Aの方から持ちかけられたものであるから、被告人Cとしては、積極的に賄賂を供与してまで戦プロ可能性調査を受注しようとの意図を持っていなかったとしても、そのことで直ちに賄賂を贈る動機がなかったということになるわけではない。
また、道コンとしても、いわゆる「道策会社」としての体面上、道の大型プロジェクトには赤字を覚悟でも協力するという営業姿勢をとっており、昭和六〇年度戦プロ可能性調査を受注することができるのであれば、道コンの営業姿勢や前記のような長期的利益に合致するという関係にあったと認められることも、前述のとおりである。
そうすると、被告人Cとしては、被告人Dから「ポプラ」での会合内容につき報告を受けた際、「活動費」の内容については詳細な説明がなく、腑に落ちない点があるとは思いながらも、道コンとして交通関係の戦プロ可能性調査を是非受注したいと考え、「活動費」を負担してでもその仕事を発注してほしい旨被告人Aに伝えるよう被告人Dに指示したという趣旨の被告人Cの捜査段階における供述は、当時の状況に照らして極めて自然であり、十分信用できるというべきである。したがって、被告人Cには、賄賂の動機があったと認められるから、これを欠くことを前提とする弁護人の主張は失当である。
(三) 次に、被告人Cの賄賂性の認識の点について検討すると、被告人Cとしては、昭和六〇年三月に、部下である被告人Dから、道庁の予算で賄い切れない戦プロ関係の事務費につき、受注額の一五パーセントに当たる金額を「活動費」として道コン側に負担してほしいという要請が被告人Aからあったとの報告を受け、戦プロ可能性調査の受注の前提条件として、正規の手続では到底捻出できない性質の金員を、被告人Aの裁量ないし権限により自由に使用するという暗黙の了解のもとに、「活動費」として支払う旨了承し、被告人Dを通じて、被告人Aにその旨を伝えたものであり、しかも、被告人Cや被告人Dの側ではその使途ないし運用方法について事後的な確認や承認をすることは全く予定されていなかったのであって、これらの事実関係について被告人C自身が正確に認識していたことは、その公判供述によっても認められる。
そうすると、賄賂性の認識を肯定する内容の被告人Cの捜査段階における供述は、十分信用することができるというべきであって、被告人Cについても、昭和六〇年度の「活動費」を賄賂であると認識していたことを優に認定することができる。そして、このことは、被告人Cが、被告人Dの報告に基づき、被告人Aに対し、本来の外注費を除く道コンの受注額の約二〇パーセントに当たる金員を割り戻すために、道コン内の経理処理としては実体のない再委託契約の形式を作出し、その振込送金先としても、被告人Aの指示どおり、前記のようなメープル企画宛に行うことを異議なく了承したことからも裏付けられる。
被告人Cの弁護人が主張する被告人Aの道庁における地位、これに対する被告人Cの認識、「ポプラ」での会合の状況、金員支払の方法等については、前述のとおり、いずれも、被告人Cの賄賂性の認識を否定する根拠となるものではない。また、被告人C自身が被告人Aと直接接触していないという点も、被告人Cが、部下である被告人Dから報告を受けて「活動費」の負担を承諾し、被告人Dに指示して被告人Aにその旨を伝えていることに照らすと、被告人Cの賄賂性の認識を肯定することの妨げにはならない。さらに、被告人Cが被告人Dからの報告を受けたその場で「活動費」の負担を承諾したとの点も、被告人Cが、いったんは「活動費」の内容に疑問を持ち、ためらいを感じながらも、戦プロ可能性調査の受注のためには仕方がないという態度で承諾したものであることに照らすと、被告人Cが「活動費」につき道コンとして当然負担すべき金員であるとは考えていなかったことは明らかであるから、やはり被告人Cについても、賄賂性の認識を否定する根拠となるものではない。
なお、被告人Cも、被告人Dと同様に、公判廷において、道コンでは、以前にも官公庁側からの要請により、正規の予算では賄いきれない事務費を負担した例があったとして、それを根拠に本件における賄賂性の認識を否定する趣旨の供述をしている。しかし、被告人Cも、相手に迷惑がかかるなどとして、その具体的な内容を明らかにすることを拒否しているばかりか、その前例の内容としても、本件のように、発注業者の決定以前の段階で、個別的、具体的な使途も明示されず、受注額の一定割合による金額を、官公庁とは何ら関係のない新設の民間会社に対して、実体のない再委託の形式をとって支払ったというものではなかったと認めている。そうすると、被告人Cのいう前例は、同被告人の賄賂性の認識の存否の判断に影響を及ぼすようなものではない。
2 昭和六一年度戦プロ推進調査関係
被告人Cの弁護人は、被告人Cについても、被告人Dと同様の理由により、昭和六一年度の「活動費」について賄賂性の認識がなかったと主張し、被告人Cも、この主張に沿う供述をしている。
しかしながら、昭和六一年度の交通関係の戦プロ推進調査が、道コン側で「活動費」の支払を拒否したとしても、なお道コンに継続発注されるという保証がなかったことや、被告人Cに昭和六〇年度の「活動費」について賄賂性の認識が認められることは、前述したとおりであり、しかも、被告人Cは、被告人Dから、昭和六一年度においても、昭和六〇年度と同様の「活動費」を被告人Aに支払うことになった旨の報告を受けて、即座にこれを了承しているのであるから、被告人Cの認識としても、その金員の趣旨が、昭和六〇年度の「活動費」と同じものと考えていたものと認められる。
そうすると、昭和六一年度の「活動費」についても、被告人Cには賄賂性の認識があったと認定することができる。
第五 メープル企画及びピーアンドデーの役割
一 昭和六〇年度戦プロ可能性調査関係
1 被告人Aの弁護人は、メープル企画は、白尾の発案に基づき、道内におけるシンクタンクを養成するために設立したもので、戦プロ可能性調査のための事務局的な役割を期待されていたものであるから、検察官が主張するように被告人Aと一体の関係にはなく、メープル企画に振り込まれた「活動費」に対しては被告人A個人の支配は及んでいなかったとして、被告人Aの収賄罪は成立しないと主張し、被告人Aも、公判廷において、当初は自らのメープル企画やピーアンドデーに対する支配関係を肯定する旨の供述をしていたものの、後にこれを否定する供述をしている。
しかしながら、白尾は、公判廷において、新たにシンクタンク会社を設立し、その本店所在地を東京に置くという構想は被告人Aの発想に基づくものであり、白尾自身、特に具体的な事業プランを持っていたわけでもなく、白尾が代表取締役に就任したのも、被告人Aが公務員で、矢尾板も自分の会社を経営していたという消極的な理由によるものであって、いわゆるペーパーカンパニーを設立するという認識であった旨の供述をしている。また、実際にも、メープル企画は、昭和六〇年度戦プロ可能性調査についての「調整費」ないし「活動費」が振込送金された昭和六〇年七月から一〇月にかけては、活動の本拠となる事務所さえなく、開研や道コンからの再委託に関する業務はおろか、実質的な事業活動を全く行っていないし、戦プロ可能性調査の推進のための事務局的な役割も何ら果たしていない。しかも、白尾は、公判廷で、メープル企画自体としては、開研や道コンから入金された「調整費」ないし「活動費」を使用する目的はなく、単に被告人Aに銀行口座を貸しているという立場にあり、メープル企画からのその分の金銭の支出は、すべて被告人Aの指示によって行われていたものであると明確に供述しているうえ、被告人A自身も、白尾が、被告人Aからのその分の金銭支出の要請を拒んだことはなかった旨認めている。
そうすると、メープル企画は、被告人Aが昭和六〇年度戦プロ可能性調査に関する「調整費」ないし「活動費」を受領するため、その「受け皿」として設立したダミー会社であるという側面を有することは否定できないというべきである。したがって、昭和六〇年度の「活動費」については、被告人A自身が受領したものと認めることができるから(この点で、第三者供賄罪の成立する余地もない。)、被告人Aの弁護人の主張は採用しない。
2 被告人Bの弁護人は、被告人Bとしては、メープル企画の設立目的は道内におけるシンクタンク活動であると聞かされており、戦プロの関係でもメープル企画が事務局的な役割を果たすものと考えていたのであるから、メープル企画が賄賂の「受け皿」であるとの認識を有していなかったという趣旨の主張をし、被告人Bも、公判廷で、被告人Aがメープル企画の経営に関与していたという認識はなかった旨の供述をしている。
しかしながら、被告人Bは、被告人Aから指示されたとおりに、昭和六〇年度戦プロ可能性調査に関する「調整費」をメープル企画の銀行口座に振込送金したものであるうえ、公判廷でも、メープル企画からのその分の金銭の支出については、すべて白尾が被告人Aの指示に従って行っていると考えていた旨供述している。そうすると、被告人Bとしては、少なくとも「調整費」の入金と出金に関する限り、被告人Aがメープル企画に対して支配を及ぼしていたと認識していたものと推認することができる。したがって、被告人Aとメープル企画との一体性に関する贈賄側の認識の欠如を理由として、被告人A自身の収賄罪の成立を否定することもできないというべきである。
二 昭和六一年度戦プロ推進調査関係
1 被告人Aの弁護人は、昭和六〇年一〇月二六日のメープル企画の札幌事務所開設は、検察官が主張するようにトークイン活動を支援するためではなく、白尾の意向に基づき、本来のシンクタンク活動を目指して行われたものであり、実際にも、白尾は、昭和六一年三月から主体的にシンクタンク業務を展開し、同年九月には、被告人Aに相談することもなく、メープル企画の商号をピーアンドデーに変更するなどしているのであるから、被告人Aとメープル企画及びピーアンドデーとは一体の関係にはなく、昭和六一年度についても、被告人A個人が開研や道コンから振込送金された「調整費」ないし「活動費」に対する支配関係を及ぼしていたとはいえないから、被告人Aには収賄罪は成立しないと主張し、被告人Aも、これに沿う供述をしている。
しかしながら、白尾は、公判廷において、昭和六〇年の九月ないし一〇月ころ、矢尾板から、トークイン関係の活動をするため、メープル企画の札幌事務所を開設するよう被告人Aから要請があった旨の話を聞き、メープル企画としては、特に事務所を必要とするような事業計画がなかったにもかかわらず、被告人Aの意向と資金調達に基づいて、選挙事務所用としても使用できるような事務所を探して賃借した後、同年一一月から昭和六一年三月まで道内数か所で開催されたトークイン活動の拠点としての役割を果たした旨明確に供述している。また、白尾は、昭和六一年三月から主体的に事業活動を開始した理由についても、当時トークインが終了し、事務員の給料や事務用品のリース料等の支払のために実質的な営業活動をする必要があり、トークイン活動で培ったノウハウを生かして新しい仕事を開拓できる見込みもあったためであると供述し、商号変更の理由についても、メープル企画はトークイン活動に関与し、社名にも「政策企画」という言葉が入っていて、非常に政治性の強い会社であるという認識を持たれている可能性があるので、北海道の地域開発等に関する一般的な仕事をするためには、従来の商号では差し障りがあると考えたからであると説明している。そして、白尾は、開研や道コンから昭和六一年度の「調整費」ないし「活動費」が入金された昭和六一年五月から昭和六二年一月にかけてのメープル企画ないしピーアンドデーの資金状況に関し、会社としての事業活動から得られた収益としては、レインボーメーキングに下請けをさせた中川道議会議員や吉川貴盛道議会議員の選挙活動に関する一〇〇万ないし一五〇万円を除いて他に見るべきものはなく、会社の収入は、もっぱら被告人Aが調達してくる現金や借入金と、開研や道コンなどから振り込まれた架空の再委託契約に基づく送金とによって賄われており、しかも、再委託契約の形式を整えるための書類の作成や、会社にとって必要な日常経費等以外の支出は、すべて被告人Aの指示に従って行ったものであるとの供述をしている。
このような白尾の証言について、被告人Aの弁護人は、白尾は、本件の捜査当初、被告人Bあるいは被告人Aの共犯者の疑いで逮捕、勾留され、起訴猶予になった経緯があるから、その供述も、いわゆる「危険な共犯者の供述」類似のものとして、信用性を慎重に検討すべきであると主張している。しかし、白尾は、実際上、自らの訴追の可能性がなくなった公判段階においても、前述の趣旨の明確かつ具体的な証言をしているのであって、その内容も、昭和六〇年ないし六一年当時のメープル企画やピーアンドデーの活動内容、白尾自身の立場等の客観的状況に照らして合理的であるうえ、当時メープル企画やピーアンドデーに勤めていた武村圭の証言や捜査段階における供述とも合致しており、その信用性は高いものと認められる。
これらの検討によると、メープル企画の設置の経緯やその後の事業活動、さらにピーアンドデーへの商号変更等を根拠として、これらの会社に対する被告人Aの支配関係を否定する被告人Aの弁護人の主張は、その前提を欠くというべきであり、結局、昭和六一年度についても、被告人Aが、これらの会社を「受け皿」として、自ら「調整費」ないし「活動費」を受領したものであると認めることができる(したがって、昭和六一年度についても、第三者供賄罪が成立する余地はない。)。
2 被告人Bの弁護人は、被告人Bが昭和六一年度の「調整費」として支払ったのは六〇〇万円であって、残りの九〇〇万円は、被告人Aの要請に基づくものではなく、被告人Bと白尾との話合いにより、開研からメープル企画ないしピーアンドデーに対する資金援助として送金されたものであると主張し、被告人Bも、捜査段階では、昭和六一年度の「調整費」が一五〇〇万円であった旨認めていたものの、公判廷では、弁護人の主張に沿う供述をしている。
しかしながら、被告人B自身、公判廷において、昭和六一年五月七日に被告人Aから六〇〇万円の負担を要請された際、それが「戦プロの活動に伴う費用」というように理解したと述べ、昭和六一年度の送金総額が一五〇〇万円になったことについても、前年度も受注額の二〇パーセントに当たる金額を負担したので、おおむねそれと同じ割合の金額を設定したと述べて、最終的な送金額が昭和六一年度戦プロ推進調査の受注額を基準として決定されたものであることや、残りの九〇〇万円についても、六〇〇万円と同様に、メープル企画ないしピーアンドデーに対する架空の再委託という形式で社内の経理処理がなされたことを認めている。しかも、被告人Bは、昭和六一年度戦プロ推進調査の正式契約締結以前の段階で、同年度の「調整費」としては六〇〇万円でよいと考えた理由や、開研がメープル企画やピーアンドデーに対して資金援助をする目的、理由等について、何ら合理的な説明をなし得ていないばかりか、白尾との間では事前に援助額や資金計画についての相談があったとしながら、白尾側から九〇〇万円につき一括請求がなされたことなどの矛盾点について質問をされると前言を撤回するなど、まさに単なる弁解の域を出ない供述に終始している。
これに対して、白尾は、昭和六一年度の開研からの送金についても、被告人Aから総額一五〇〇万円のうちの残額九〇〇万円の支払方法について被告人Bと相談するように指示されたことや、この九〇〇万円の趣旨が昭和六一年二月に開研から援助を受けた一〇〇万円とは異なることを明確に供述しており(被告人Bの弁護人によるこの点についての白尾証言の理解は、白尾証言の他の部分を併せて検討すれば、正当なものではない。)、その内容にも不合理な点や不自然な点はない。
以上によると、昭和六一年度戦プロ推進調査の業務委託に関する送金額についての被告人Bの捜査段階における供述は、十分に信用することができ、昭和六一年度の「調整費」として被告人Bが振込送金した金額は一五〇〇万円であったと認定することができる。
第六 捜査段階における供述の信用性
被告人B、被告人C及び被告人Dの捜査段階における供述のうち、前記各争点に関係する部分の信用性については、それぞれの箇所で判断を示したところであるが、これらの被告人の弁護人は、捜査官の取調状況等を理由として、右供述の信用性を争っているので、以下に当裁判所の判断を示すこととする。
一 被告人Bの検察官調書の信用性
被告人Bの弁護人は、被告人Bに対する検察官の取調べは、深夜に及ぶ異常な状況の中で、被疑者の人権を無視する暴言を用い、始終自白を強要する攻撃的、糾問的な態度で行われたものであって、その結果作成された被告人Bの検察官調書に信用性はないと主張し、被告人Bも、公判廷で、この主張に沿う供述をしている。
しかしながら、被告人Bは、強制捜査の前に任意の取調べが先行していたことから、自己の立場について弁明するための準備期間が十分あったはずであるし、逮捕後も、頻繁に弁護人の接見を受けて法的な助言を与えられ、自己の法的立場を理解し防御手段を講じ得る状況にあった。また、検察官調書の内容をみても、書類その他の物的証拠から認められる戦プロ関係調査の民間委託をめぐる道庁内部の動きや「調整費」ないし「活動費」の入金と出金をめぐる金の流れという客観的状況に照らして、不自然、不合理であるというべき点も存在しないし、被告人B自身に有利な事情についても、そのまま記載されている。そして、被告人Bは、検察官調書の内容を認めて署名指印しているし、被告人Bの弁護人も、取調官の態度を非難しながらも、検察官調書の任意性までは積極的に争っていない。
これらの事情を総合すると、被告人Bの検察官調書は、その信用性を保障する外部的な情況の存在のほか、内容的にも、全体として、相当の信用性があると認めることができる。そうすると、被告人Bの弁護人の右主張は、各争点に関連して既に述べた被告人Bの捜査段階における供述の信用性についての判断を左右するものではない。
二 被告人C、被告人Dの検察官調書の信用性
被告人C及び被告人Dの弁護人は、同被告人らの捜査段階の供述のうちの不利益事実の承認に当たる部分は、捜査官の強引な押し付けによるものであり、取調べの方法も不公正であったとして、同被告人らの検察官調書には信用性がないと主張し、同被告人らも、公判廷で、この主張に沿う供述をしている。
しかしながら、被告人C及び被告人Dについても、強制捜査の前に任意の取調べが先行していたことから、自分たちの立場について弁明するための準備期間が十分あったはずであり、実際にも、被告人両名は、任意捜査のころには、取調べの都度お互いに情報交換をしていたということであるし、逮捕後も、頻繁に弁護人の接見を受けて法的な助言を与えられ、自分達の法的立場を理解し防御手段を講じ得る状況にあった。また、検察官調書の内容をみても、被告人Bの場合と同様に、書類その他の物的証拠から認められる戦プロ関係調査の民間委託をめぐる道庁内部の動きや「活動費」の入金と出金をめぐる金の流れという客観的状況に照らして、不自然、不合理であるというべき点も存在しないし、両被告人に有利な事情や訂正申立てのあった点についても、そのまま記載されている。そして、被告人両名とも、検察官調書の内容を認めて署名指印しているし、両被告人の弁護人も、取調官の態度を非難しながらも、検察官調書の任意性までは積極的に争っていない。
これらの事情を総合すると、被告人C及び被告人Dの検察官調書も、その信用性を保障する外部的な状況の存在のほか、内容的にも、全体として、相当の信用性があると認めることができる。そうすると、被告人C及び被告人Dの弁護人の右主張も、各争点に関連して既に述べた両被告人の捜査段階における供述の信用性に関する判断を左右するものではない。
なお、被告人Aが、被告人Dに対して、昭和六一年度の「活動費」を要求した時期については、道コンの社内資料等からは、昭和六一年四月下旬ないし五月上旬ころと推認され、被告人Cと被告人Dの検察官調書の記載とは若干のずれがあるが、このこと自体は、単なる記憶違いであるとも考えられ、両被告人の検察官調書の全体としての信用性に影響を及ぼすものではない。
(法令の適用)
一 被告人Aにつて
罰条 いずれも包括して刑法一九七条一項後段
併合罪加重 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い第一の二の1の罪の刑に加重)
刑の執行猶予 刑法二五条一項
追徴 刑法一九七条の五後段
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
二 被告人Bについて
罰条
行為時 包括して平成三年法律第三一号による改正前の刑法一九八条、一九七条一項後段、同罰金等臨時措置法三条一項一号
裁判時 包括して右改正後の刑法一九八条、一九七条一項後段
刑の変更 刑法六条、一〇条(軽い行為時法の刑による)
刑種の選択 懲役刑
刑の執行猶予 刑法二五条一項
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
三 被告人C、同Dについて
罰条
行為時 包括して刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一九八条、一九七条一項後段、同罰金等臨時措置法三条一項一号
裁判時 包括して刑法六〇条、右改正後の刑法一九八条、一九七条一項後段
刑の変更 刑法六条、一〇条(軽い行為時法の刑による)
刑種の選択 懲役刑
刑の執行猶予 刑法二五条一項
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
(量刑の事情)
一 被告人Aについて
1 不利な事情
被告人Aは、北海道開発調整部参事(計画)の主幹、参事として、道民全体が北海道の将来を託し強い関心を寄せていた新長期計画の戦プロ関係調査に関する事務を担当、統括する立場にありながら、その地位を濫用して発注予定業者に賄賂を要求し、業者側からの請託を受けたうえ、本来公正であるべき発注業者の選定等の手続に当たって特定業者に対する便宜な取り計らいをし、その見返りとして、総額三九四八万円というすこぶる高額の賄賂を受け取ったもので、犯情は非常に悪質である。
被告人Aが受け取った賄賂は、もともとは道民全体の利益のために使用されるべき道の予算から支出された民間委託費の一部を割り戻し(いわゆるキックバック)により供与されたものであるうえ、その受領方法についても、当初は営業実体のない形式だけの会社を新たに設立し、賄賂の「受け皿」として介在させるなど、犯行態様は巧妙で背信的である。
被告人Aは、本件によって、戦プロの実現にむけての道民の期待を裏切り、道政に対する一般の信頼を損ねたもので、社会に与えた衝撃も大きい。
被告人Aは、公判廷でも、自己の立場を正当化するための不合理な弁解を繰り返し、必ずしも真摯な反省の態度が見受けられない。
2 有利な事情
被告人Aは、受領した賄賂の大部分を自己の道庁での職務に関連する出費や自己の政治的信条に基づく活動に関連した支出に充てており、賄賂によっていわゆる私腹を肥やしていたとまでは認められない。
被告人Aは、他方では、当時の北海道の社会的、経済的な停滞状況について深く憂慮し、戦プロ関連事業の実現のため、その職務に熱心に取り組んでいた。
被告人Aには、これまで前科がない。
二 被告人B、同C、同Dについて
1 不利な事情
被告人らは、もともと道民の税金等で構成される道の予算から支出された民間委託費の一部を被告人Aに対して賄賂として供与し、本来公正であるべき戦プロ関係調査の発注業者選定手続を歪め、公務員の職務の公正に対する一般の信頼を損ねたもので、犯情は悪質である。
被告人らは、公判廷において、被告人Aや自分達の立場を正当化するための不合理な弁解を繰り返し、必ずしも真摯な反省の態度が見受けられない。
2 有利な事情
被告人らは、いずれも、被告人Aの方から賄賂の提供を要求され、これに応じるという受動的、消極的な形で賄賂を供与したものである。
被告人らは、本件に至るまで、家族と共に善良な社会人として生活し、それぞれの職場で重要な職責を果たしてきた。
被告人らには、これまで前科がない。
三 以上のような事情を総合考慮し、被告人らに対しては、それぞれ主文の刑を量定したうえ、それぞれの期間その刑の執行を猶予するとともに、被告人Aについては、その受領した賄賂が振込送金受領の時点でメープル企画やピーアンドデーの他の銀行預金と混同し没収不能となったことにより、その全額につき価額を追徴することとした。
(求刑)
被告人A 懲役三年、追徴金三九四八万円
被告人B、同C、同D 懲役一年六か月
(裁判長裁判官植村立郎 裁判官草間雄一 裁判官波多江真史)
別紙訴訟費用負担一覧表<省略>